46『目指す場所は』



 旅は目的地あってこそ成り立つもの。
 宛てなき旅という言葉はあるが、それは旅の末がないだけの旅。
 必ず旅立つ時には次の目的地は決めている。

 目指す場所を決めた時、旅人の気持ちはそこに一足先に飛んで行く。
 今いる場所がどれだけ居心地のいいところでも
 目指す場所がどれだけ過酷なところでも
 旅人は留まれなくなる。
 旅人は旅立たざるを得なくなる。

 目指す場所にある自らの気持ちに引かれて。



 宴も明けた翌日、リクはカーエス達と共にティタの研究室を訪れた。ノックをすると、ティタ本人が顔をだし、五人を中に通す。
 中に入った五人は一様に感嘆の吐息を漏らした。来た時はあちこちに本や紙がうずたかく積もるほど散らかっていた部屋が今日は見違えるように綺麗に片付けられている。

「あはは、驚いた? クーデターのドサクサが落ち着くまでのしばらくはろくに研究が出来なさそうだからね、いい機会だと思って資料を片付けていたのさ」

 ティタは笑って、綺麗になった部屋を誇らし気に見せると、前回と同じように応接用のソファにリク達を座らせる。まだ片付け作業を継続している研究員に声を掛け、飲み物を持って来るようにいうと、改めてリクの向かいの席に座った。

「さてと、まずはどうしようかな。そっちから話してもらおうか、それともこっちから話そうか、どっちがいい?」
「こっちから話すことって?」

 思ってもみなかった言葉にきょとんとした目でリクが問い返すと、ティタは困ったように眉根を寄せた。

「何言ってんだい、元々ファトルエルの大災厄の事を話す代わりに“大いなる魔法”の事を聞かせてやろうって言ってたんじゃないか」
「あ、そうか」

 ティタと初めて会った時は、それこそが目的だったのだ。今後の対策の為、ファトルエルの大災厄を肌で体験したリク達の話を聞かせるためだった。ところが、リクが大災厄を滅ぼすにはどうすればいいかを代わりに聞き出そうとして、ティタがそれを断ってから、本来の目的もうやむやになってしまっていた。

「聞けば、アンタがファトルエルの大災厄に止めを刺したのはアンタだっていうじゃないか。さぞ貴重な話が聞けそうだね」と、ティタは嬉しそうに言う。
「じゃあ、先にそっちの話をしよう」

 そう言って、リクはティタにファトルエルの大災厄において、自分が見たことを話した。もっとも、リクは大災厄が始まってしばらくはジルヴァルトとの死闘で周りの様子に気を配る余裕はなかったため、前半部分のほとんどはカーエスが語った。
 時折質問を挟みながら、ティタは重要と思われる部分は傍らに用意していたノートに書き留め、一言一句漏らさないくらいの集中力を持って話を聞いた。特に、リクとカーエス、そしてフィラレスが“白鳳”《アトラ》と共にグランクリーチャーと対峙した場面になると、リク達には見たことのない、“研究者の目”とも呼べる探究心に輝く目で食い付くようにして聞いていた。

「なるほど、“転生”か……」と、リクの話を聞いたティタは唸った。「道理でどんな強力な兵器を持ち出しても無駄なはずだよ。みんな一撃必殺を狙ってたからねぇ」

 いつも大災厄の中で見られるグランクリーチャーの姿は鎧兜を身に付けた甲冑騎士と同じだ。ある程度以上の威力を持つ攻撃を仕掛けられると、グランクリーチャーは鎧を脱いで真の姿を現す。
 これを“転生”という。
 真の姿となったグランクリーチャーは大抵それまでと比べ物にならないくらい強くなるが、この真の姿の時でないとトドメはさせない。
 普段の姿だとどれだけ大きな威力を持つ攻撃を仕掛けようと、“転生”して真の姿に変わるだけで、倒す事は出来ない。つまりグランクリーチャーを倒す為には最低二撃を加えなければならない。
 “二撃必殺”。それが、リク達がファトルエルの大災厄に対して行った作戦の名前であった。

「《アトラ》はほとんどのグランクリーチャーが“転生”の能力を持っているって言った。つまり全部のグランクリーチャーが“転生”の能力を持ってるわけじゃないらしい」

 食い付くように耳を傾けるティタにリクは諭すように付け加えた。
 リクがティタに話した事には何ら隠された事はなかった。幼少の頃、故郷で大災厄に遭い、その中で“白鳳”《アトラ》と出会って、魔導士としての数々の資質を与えてもらい、また、自分が神獣である《アトラ》を召喚できるという事さえ話した。

「一番興味あるのはやっぱり“白鳳”《アトラ》だね。話を聞く限り、《アトラ》はおそらく人類も知り得ない事も知っているみたいだし……今召喚していろいろ聞きたいんだけどやっぱり駄目かい?」

 ティタは何かを期待するような目をリクに向けたが、リクは困ったように眉をしかめ、申し訳なさそうに答えた。

「悪いけど、ダメだ。《アトラ》は必要がない限り喚び出すことは出来ないんだ」

 普通召喚魔法で造り出される召喚獣は一個の存在ではない。召喚主の意のままに動くだけで意思はないからだ。
 ところがリクの召喚できる“白鳳”《アトラ》は意思を持つ独立した一個の存在である。
 十年前にリクの故郷が大災厄に襲われた際、命を救われた上、大災厄を根絶する為に彼に魔導士としての能力を与えてくれた《アトラ》はリクにとって「喚ぶ」というより「来て頂く」存在なのだ。

 初めて召喚に成功したジルヴァルト戦、そして今回危ういところを助けてもらったダクレー戦のように、必要性がなければ《アトラ》の召喚は出来ない。
 ファトルエルを出てから、エンペルファータに来るまで何度か試してみたが、必要でない時には召喚には応えてくれなかった。できたところで、やはり答える必要がない質問には答えないだろう。《アトラ》の言動からして、どうやら主であるリクには出来るかぎり彼の力は頼らず、自分の力だけで事を切り抜けて欲しいと思っている節がある。

「なるほどね」と、ティタはパタンとノートを閉じ、話の間に研究員に運んでもらった茶を一口飲んで言った。「じゃあ、次はアタシが話す番、“大いなる魔法”についてだね」

 その言葉に、リクがごくりと喉を鳴らした。ティタは傍に立て掛けてあった筒を手にとると、中から巻かれた紙を取り出す。

「始めに断っておくけど、これは“大いなる魔法”への手がかりの情報であって、“大いなる魔法”自体の場所を示すものじゃない。それから、これは飽く迄も推測であって、確証はないからね」
「十分だ」

 “大いなる魔法”ほどの大きな謎は分からないことばかりで、手がかりの有無さえも掴めないという状態でも当たり前の話だ。それでも情報が手に入れられるというのは、リクにとって夢への大きな前進に他ならない。
 ティタは頷いて、答えるとその紙、世界地図を開き、ファイルのページをめくりながら話しはじめた。

「“大いなる魔法”っていえば、大災厄とかクリーチャーみたいなイメージがあるけどさ、本来自然の雨とか、風とかなんかも“大いなる魔法”の所行だっていうのが定説だよね」
「ああ、そういえば。何か別モンみたいに感じられるけどな」

 “大いなる魔法”の伝説は昔から語られてきており、諸説あるのだが、もっとも広まっているのは、自然現象の全ては“大いなる魔法”からのものであるという説だ。

「自然現象は土地のいろいろなところに影響を及ぼす。そこで、アタシはいけるところは全部回って生物や土地、気候の事なんかを調べてみたんだ」

 鎖国状態に近い大国ウォンリルグは入れなかったが、ティタと、その研究班の研究者達はエンペルリースとカンファータの各地を隅々まで回り、土を採取し、動物の傾向を調べ、天候の特徴を観測した。
 その後ティタは、各地で採取、観測されたデータを調べて行く内に、その土地の特色に関して興味深い法則を発見した。

「土地の特色は、ある一点から遠くに行けば行くほど濃かったんだ」と、ティタは世界地図の一点である左端、つまり西端の真ん中を指差した。

 そこから離れた土地、特に顕著だったのが東の地だが、そこにいる動物や土などの成分は、他では見られない特徴を持っていた。ところがある一点に近付くにつれ、その特色は消えて行き、色で言うと混ざりあったような状態になって行くのだ。
 そこでティタは東の地にいる動物たちが進化、派生していった道を逆に辿っていくことを試みた。この土地に馴染み、特化した動物達はどこからやってきて、どのように進化していったのか。
 無論、生物学とは縁遠い分野にいるティタには、その作業は困難だったが、ここは魔導研究所、あらゆる分野の研究者や資料が揃っているので、その力を借りることで、ティタはある事実を突き止めることが出来た。

「世界中の動物達、特色の始まりは同じところからやってきているのさ」
「その、世界の真西からか?」

 リクが世界地図の端に置かれたままのティタの指に目をやって尋ねると、彼女はこくりと頷いて答えた。

「その通りさ。世界の全ての起源はこの一点にある。と言っても厳密に言うと、もっともっと西にあるんだけどね」

 そう付け足しながら、ティタは世界地図から指をさらに西方向、その外に移動させた。

「アンタは“始まりの聖地”の伝説を知っているかい?」

 リクは首を振ったが、代わりにコーダが答える。

「世界の西の果て、遠く海を越えたところにある島の話でやしょう? そこが世界の創造者の住まいだとかいう話スよね」
「よく知ってるじゃないか、随分マイナーな話なのに」

 知る者が少ないと思っていたらしいティタが少しばかり驚いたように片眉をあげる。
 そして、ティタはファイルの中から一枚の紙を取り出してリク達に見せた。それは、古ぼけた古文書を模写したものらしく、古代語らしき見なれない文字の文章と共に、ある島の鳥瞰図のような絵が添付されている。

「これが、その『“始まりの聖地”シャン・ヴィトーラ』の伝説の根源となった古文書さ。ここには伝説にしちゃ割と具体的な位置が書かれてるんだけど、その位置は見事に一致しているのさ」

 そこでティタは一旦言葉を区切り、口元ににやりと笑みを浮かべて続けた。

「アタシが割り出した“世界の起源”の位置とね」

 “世界の起源”の位置と、“始まりの聖地”の一致。その事実に、その場にいた全員がしばし言葉を失った。
 確証はない。そして、“始まりの聖地”の伝説には根拠もない。どちらの話にも間違っていないと言う保証すらない。しかし偶然の一致にしては、出来過ぎている話だ。

「ティタ殿、疑うようで申し訳ないのだが、その位置に島の存在は確認されているのでしょうか?」
「いい質問だが、答えは否だね。ああ、勘違いしないでおくれよ? 確認されていないのはその島が存在している事だけじゃない。その島が存在していないことも確認されていないんだ」

 ティタの答えに、一同が揃って首をかしげる。
 魔導文明の進歩に従い、造船技術も発達し、魔導器の助けを借りて推進する魔導船はたとえ大きな嵐が来たとて沈まない頑丈さを備えている。地図からはみ出すほど遠い島とはいえ、魔導船なら楽に渡りきれるはずだ。そうでなくても近くに寄って、確認するくらいできてもおかしくない。
 そんな一同の疑問を予想していたのか、ティタは小さく笑って答えた。

「この位置の近海は“不思議の地”なのさ」

 “不思議の地”、大いなる魔法に影響され超自然的な現象が起こる地を指す言葉だ。
 例として挙げるとすれば地面が突然隆起し、その上にいるものを空高く放り投げる『アプカート荒野』、永遠に渦巻き続ける湖『スクル湖』、木々が放電している森『シャンドの森林』などが有名である。
 “不思議の地”にはクリーチャーが徘徊していること、何がどんなタイミングで起こるか分からないことで危険な場所として大抵恐れられている。そしてそれらの土地を調査する仕事をしているのが冒険者であり、その大半が腕の立つ魔導士なのだ。

「この位置を囲むようにして、その先が全く見えないような濃霧が発生してるんだ。たまにそこに入り込む勇者もいないじゃないけど、半分は帰ってこないし、帰ってきても巨大な海生クリーチャーに襲われて命からがら逃げ出してくるもんだから島の影を確認する余裕はない。それにあの濃霧じゃ方向が分からなくなるらしくてね、霧に突っ込んで、運良くクリーチャーに出会わなくてもいつの間にか別の場所から出てきてしまうらしいのさ」

 ティタの説明にリクは納得し、自分の行く先にどれほどの困難が待ち受けているのか、その一端を見たような気がした。
 しかし、それと同時に思ったことがある。

「でも、信憑性は高い」
「そうだね」と、ティタも頷いた。

 ティタの割り出した“世界の起源”と伝説の語る“始まりの聖地”の位置の一致。
 そしてその位置を“護っているかのように”発生している不思議の濃霧。

 これらの事実は、ティタの話が真実だと主張しているかのように見える。

「呆れたね……そうと決まったわけじゃないって念を押してるのに、行くっきゃないって顔してるよ」と、ティタが苦笑する。
「今のところ、そこしか手がかりがねぇんだろ?」

 明らかに興奮していた。“大いなる魔法”に繋がる唯一の道。今まで誰も踏み込んだことのない“始まりの聖地”。世界の大きな謎が自分の目の前にあると思うと、心が落ち着かなくなる。
 そんなリクの様子を見て、ティタは何もかも吐き出し切ったような、安堵の表情を浮かべてファイルを閉じた。

「リク、はっきり言っておくけど、アタシはまだアンタを信用しきったわけじゃない」
「え?」

 リクは意外そうな反応を示す。信用しきったわけではないのなら、何故“大いなる魔法”の情報を明かしたのだろう。

「誤解しないでおくれよ。やり遂げられないって思ってるわけじゃないんだ。逆に何があってもまた立ち上がれるとは思う」そこでティタは言葉を区切りリクから目を離し、その周りに視線を配ってから付け足した。「仲間がいればね」

 今回の騒動の中で、リクは一度ダクレーに盛られた毒に倒れ、“死出の道”を彷徨う羽目になった。彼に仲間がいなかったら、そこから生の世界に戻ることはなかっただろう。しかしジェシカやカーエスが禁術破りをし、フィラレスがその想いをもって彼の命を繋ぎ止めてリクは“死出の道”から生還した。
 そして、ディオスカスを倒し、研究所内のクーデター勢を片付けたところで現れた新たな敵、“ラ・ガン”の一人グレン=ヴァンター=ウォンリルグに守り通したはずのものをもって行かれそうになった時、今度はリクが助けに来た。
 仲間がリクを助け、リクが仲間を助ける。その実例を見せられた時、ティタはリクに“大いなる魔法”の情報を明かすことを決心したのだ。

「アタシが信用に足ると思ったのは、アンタだけじゃない、アンタの周りの仲間も含めての事なんだ」

 ティタの言葉に、彼女の前に並ぶ五人は、同時に顔を見合わせた。

「行く時は必ず仲間をつれて行きな。これは“大いなる魔法”に挑戦するための条件だよ」

 その言葉に、リクはもう一度密かにカーエスとフィラレスの姿を盗み見た。


   *****************************


「百八十九……! 百九十……! 百九十一……!」

 昨日一杯休め、筋肉が固まりつつある身体を少しほぐしておこうと、魔導学校の訓練場にやってきたジェシカの耳に、聞き慣れた声が入ってきた。

(カーエス……?)

 少し興味を覚えて、その声を追い、聞こえてくる基礎訓練室の中を除いてみると、カーエスがたった一人、片手での腕立て伏せをしていた。それだけではなく、彼の周りには魔力で構成したのであろう光玉がいくつか宙を泳いでいる。
 それら一つ一つの光玉は火に包まれていたり、水滴の中で光っていたり、つまり別々の属性を持っているのだが、どうも不安定で光玉の動きもどこかふらふらとしたものになっている。
 それを行っているカーエス自身は、顔中玉の汗をびっしりと浮かせて、必死の形相をしていた。

「百九十七……! 百九十八……! 百九十九……! 二百!」

 途端にカーエスはばたっと床に倒れ伏せ、しばらくその体勢のまま荒い息を続ける。ジェシカは、そんなカーエスに歩み寄り、元々自分用に持ってきた汗を吹くためのタオルをカーエスの上に被せてやった。
 いきなり天から降ってきたタオルに、カーエスは目を丸くして顔をあげると、そこにあったジェシカの顔を見て、更に目を見開く。

「……今日は午後の外出は控えとこーか」
「第一声がそれか。しかも何だその微妙に遠回しな表現は」

 少し身体をほぐすだけのはずなのに、何故か持ってきていたスピアをカーエスの喉元に突き付けると、彼は慌ててうつ伏せの状態から飛び起きて座る。

「いやいや、嘘、嘘! おーきにありがと大感謝」と、カーエスは慌てて礼を言って顔を覆っている汗を拭き取る。

 その様子をじっと見ていたジェシカはふと尋ねた。

「随分熱心だな、いつもやっていたのか?」
「いや、昨日からやな、始めたんは」

 肯定されればそれなりに見直しただろうが、その答えはそれよりも驚きを大きくする。

「昨日から、だと?」

 あれから一日はさんだ今日でさえ、このようなハードな訓練をしていることに驚いたのに、翌日である昨日もこれをやっていたというのか。
 次にジェシカの胸に沸き上がった感情は呆れだった。

「馬鹿か、お前は。疲れている身体で訓練をしようと思える気力は買うが、あれほど魔力と体力を酷使した翌日にそんな厳しい訓練をしていたら、能力を鍛えるどころか身体を壊しかねないだろう。力の回復も遅くなる」
「でも今しかないし」

 言い訳する子供のような返事に、ジェシカは眉をしかめた。

「何がだ?」
「リクが訓練せえへん日。今だけがちょっとだけ追い付くチャンスなんや」

 カーエスの答えに、ジェシカは意外そうに目を少し見開く。
 そんなジェシカの態度を知ってか知らずか、カーエスは少し遠くを見るような目で続ける。

「……数日前まではもうちょっと互角に闘えるくらいの差ァやと思ってたんやけどなぁ。一昨日のリク見たら、随分差ァ付けられた思うたよ」

 ファトルエルの大会で、リクは“魔導眼”をもつカーエスにとても苦しめられたと聞いているが、大会中のリクと、大会後のリクでは全く強さが違っている。レベル4以上の魔法が使うようになっているのだ。しかも軽々と。
 いくら“魔導眼”持ちで魔法の先読みが出来るからといって、対グレン戦のリクのように威力の高い攻撃で攻め続けられれば振り回され、あっという間に決着が付いてしまう。はっきり言って、もう勝てる気がしないのだ。
 今まで、適わないと思った人間などいなかった。師事したカルクでさえ、いつかは超えられると思っている。
 だから、憤りを覚えた。
 一昨日のリクの戦闘力を見た時、あそこまでは強くなれないと思ってしまったから。素質の不平等に、そして、闘わずも負けを認めてしまった自分自身に。

「だから、せめて努力してちょっとでも強うなって差ァ詰めたろうと思ったんや。ほしたら、また逆転できるような気がして来るかもしれへんよって」

 夢、とまではいかないかもしれない。しかし目標を定め、しかと己の道を見据えたカーエスの顔つきは、ジェシカの目に好ましく写った。そして、先ほどから気になっていた事を尋ねた。

「これから、どうするのだ?」

 余りにも具体性を欠いた質問であるが、カーエスにはそれで通じるはずだ。つまりリクに付いて行くか、それとも魔導研究所に残るのか。
 ファトルエルの大会が終わってから十日、彼等五人は一つのグループのように行動していたが、カーエスとフィラレスは元々魔導研究所に帰るための道程であり、リク達と偶然方向が同じだっただけなのだ。
 固唾を飲むような緊張をもったジェシカの視線の先で、カーエスはあっさりと答えた。

「何言うてんの、付いて行くに決まってるやん」
「……何のためにだ? 死ぬかもしれない旅なんだぞ?」

 ジェシカとコーダは元々リクにどこまでも付いて行くことを決めていた。しかし、カーエスやフィラレスはそうではない。何の目的もなく、半数は戻らないような危険な地に踏み込むことが出来るのだろうか。

「今言うたばっかしやんか、少しでもリクに近付くて。ここに留まって訓練したかて、どれだけ強うなれるかなんてたかが知れとる。死ぬかも知れへんギリギリのところでこそ、一番実力が伸びるんやし。それに……」
「……それに?」

 意味深長に途切れた言葉を促すようにジェシカが問うと、カーエスは彼女にタオルを返して立ち上がった。

「それに、俺もお前と同じ、アイツの夢の行く末を見届けたいんや」
「……そうか」

 返したのは一言だけだったがジェシカは、引き締めていたはずの自分の口元がわずかに弛んだことに気付かなかった。


   *****************************


 その夜、荷造りを済ませたジェシカはフィラレスの寝室の扉の前にいた。ノックをするために裏返した拳を胸元まで上げているが、それで扉を叩くまではしていない。
 ジェシカは考えていたのだ。フィラレスをどう説得するか。

 リクの行く先が危険な場所だからといってフィラレスが尻込みする、と考えているわけではない。フィラレスは口を全く聞かないが、その反応は素直で何を考えているかは分からないが、どんな感情を抱いているかは、口で話されるよりもよく分かる。そして、彼女は割と自虐的な考えを抱いていることも。
 力のある方ではないし、かといって料理が出来るわけでもない。はっきり言ってしまえば、役に立つ要素がほとんどなく、そして人一倍人に気を配る性格のフィラレスはそれを自覚し、気にしている。いつも迷惑を掛けているのではないか、世話になりっぱなしでいいのだろうか、そう考え、遂には自分がいない方ではいいのではないかと考えているのだ。
 それでもジェシカはカーエスまで揃った今、フィラレスはなおさら欠かせない存在だと思っていた。

(リク様に頼められれば簡単だったのだろうが)

 フィラレスが想いを抱く彼が誘えば、迷いもなくついてくるであろうが、リクは危険な地に誘うのに気が引けるのか、今回は積極的に誘うことをしていない。

(………ええい、行ってしまえ)

 更に数秒躊躇った後、ジェシカは扉をノックする。しかし声が帰ってくるわけではない、口の利けないフィラレスは、返事を返せないので入ってもいい時は自分で開けに来る。
 しばらくした後、少し慌てた様子で扉が開いた。立て込んでいたのか、ジェシカをこれ以上待たせれば申し訳ないといった風情だ。

「少し、話があるんだ。中に入ってもいいだろうか」

 何の用だろうか、と首を傾げるフィラレスに、ジェシカは何故か緊張を感じながらそう切り出した。
 すると、フィラレスはこくりと頷いてジェシカを中に入れる。

 導かれるままにフィラレスの寝室に入ると、ジェシカは強い違和感を覚えた。彼女の私室に入るのは初めてだったが、彼女のイメージにそぐわないものがあったからだ。
 その部屋は散らかっていた。普段からにしては散らかり方がおかしく、整理の為に一度棚やタンスに入っているもの全てを出して、片付け直している途中、といったほうが当てはまるだろうか。
 部屋を見回す途中で、ふとフィラレスの寝台に目をやり、そこにあるものを見て、ジェシカは全てを理解した。

 旅に使うための大きな鞄である。

「あははははは、なるほどなっ!」

 フィラレスは部屋を整理していたわけではない。旅に出るために荷造りをしていたのだ。

 自分の心配が、全くの杞憂であったことに気が付き、唐突に笑い出したジェシカを、フィラレスが驚いた顔で見つめている。
 そんなフィラレスの視線に、ジェシカは心に沸き上がる嬉しさのままフィラレスを抱き締めた。
 いきなり抱き締められたフィラレスはさらに驚きに目を丸くするが、すぐに彼女も嬉しそうに微笑むと、ジェシカの背に腕を回した。


   *****************************


 翌日黄の刻(午前九時)、ようやく運行を再開する魔導列車の駅にはリクと、その仲間達四人の姿があった。リク達の背には“自由都市”フォートアリントン行きの魔導列車が魔導器の運転を開始している。
 リク達が向かうのは西のはずだが、彼等が今から乗り込もうとしている魔導列車の行き先であるフォートアリントンはエンペルファータの真北にあたる。しかしコーダ曰く、西に真直ぐ向かうよりも一度北上してフォートアリントンから西に延びている街道を通った方が、食料等の補給の面からも格段に楽な旅になるらしい。
 移動手段に魔導列車を使うことを提案したのも、意外にもコーダだった。三度の飯よりサソリを乗り回している方が好きな男のその提案にはみんなで驚いたものであるが、たまには楽をしたいのだとコーダは答えた。

 そうして、今目的を果たしてエンペルファータを離れようとしている五人の前には、ティタやミルドを始めとした、魔導研究所で知り合った者達が見送りに来ていた。

「これ、弁当や。ちゅうても昨日の残りもんの詰め合わせみたいなモンやけどな。今日の昼飯にで食ったってや」

 そう言ってジッタークがカーエスに差し出したのは布に包まれた大きな長方形の入れ物である。どうやら弁当箱を何重にも重ねたものらしい。

「おーきに。これからはしばらくおっちゃんの西方料理も食われへんようになるから有り難いわ」と、カーエスは嬉しそうに礼を言いながら、それを受け取る。

 残り物とはいえ、昨日の料理は豪勢なものだったので、いろいろ美味しいものが入っているはずだ。
 カーエスも自分で西方料理が作れないわけでは無いが、道中ではろくに道具も材料も手に入らないし、やはり年季が入っているだけにジッタークの作ったものの方が本物の西方料理という感じがするのだ。


「危ない場所に行くんだ、死ぬなとは言わないけど、最後まで生きることは諦めちゃ駄目だよ。手足の一本や二本無くなっても、帰ってくれば後はアタシが面倒見たげるから」
「また縁起の悪いことを……」

 ティタの言葉に、リクが苦笑する。
 次にその隣に立っていたミルドが、フィラレスの肩に手を掛けて言った。

「フィリー、僕の研究の事は気にしなくてもいいよ。君は自分で“滅びの魔力”を制御することに決めたのなら、僕の出る幕は無いんだから」

 魔導制御を専門に研究する彼が、その一環として“滅びの魔力”の研究を始めたのは制御しきれない強大な魔力をその身に宿してしまったフィラレスが、人々を傷つけることを恐れ、その魔力を消してしまうことを願っていたからだ。
 だからミルドは、自分の研究の全てをこの研究に注ぎ込み、滅びと名付けられた魔力を封じ、フィラレスがそれ以上悲しみを重ねないようにしてやりたかった。
 だが、今は事情が違う。彼女は“滅びの魔力”を制御し、その力を使って人を助けることに目覚めた。そして、忌わしかったはずの魔力で、人々を救いながら共に生きていくことを決心したのだ。
 それならば、ミルドの研究はもはや続ける意義がない。

 フィラレスはこくんと頷くと、ミルドに微笑みかけてふわりと抱き着いた。
 少し驚いたものの、ミルドも軽く抱き締め返す。

「何も気にせず好きなように生きなさい。君を縛るものはもう何も無い。君は自由なんだ」

 答えるかわりに、フィラレスはミルドの背に回した腕に強く力を込める。
 ミルドもそれに一度応えると、二人はどちらからともなく離れ、ミルドはフィラレスの顔を覗き込むように言った。

「行ってらっしゃい」

 フィラレスはこくりと頷いた。


「そろそろ時間でやスね」

 魔導列車に搭載された魔導器が発する音が一際大きくなり、コーダが時計を確認して言う。それと同時に“伝声器”が、まもなく列車が発車することを知らせた。
 五人が名残惜しく見送りに来た面々から目を離さずに列車に乗り込むと、列車の発進を伝えるブザーが鳴ると共に扉が閉まる。
 ついに魔導列車が動き出しても、リク達は入り口の傍に留まったまま、ティタ達と頷き合い、手を振って別れを告げた。


   *****************************


 ティタ達の姿が完全に視界から消え、列車がエンペルファータを出る頃、リク達はようやく座席に着いた。色々あっただけに、エンペルファータを離れることに感慨を覚えているのか、座席に着いても誰一人口を開こうとしない。
 特に、カーエスとフィラレスにとっては長い年月をここで過ごし、育ってきただけあって、その思いもひとしおだろう。

 他の一同が黙って窓の外に流れる景色を眺める中、リクは一人改めて自分の旅に付き合うことになった仲間達の面々を見つめていた。

「……なんやねん? 人の顔を嬉し気に眺めよって」

 リクの視線に気付いたらしき、カーエスが振り返って怪訝そうな表情で尋ねる。その言葉に、フィラレス、ジェシカ、コーダも視線を窓の外からリクに移す。
 全員から注視され、照れたように顔を赤くしながらリクは口を開いた。

「その……みんな、ありがとな」

 突然礼を言われ、四人は訳が分からない様子で顔を見合わせる。
 それを察したリクは、慌てて説明をする。

「ほら、これは俺の旅だからさ、俺の我が侭で危険に付き合わせるわけには行かなかったんだ。……でも本当は、俺はこの五人で行きたかった。ティタは“大いなる魔法”に挑戦する時は仲間と行けって言ったけど、俺は仲間と言えばみんな以外は思い付かない。だから、付いてきてくれるって聞いた時、嬉しかったんだよ、本当に」

 彼等と出会ってからまだ二週間経ったばかりだが、共に経験したことは数年分にも余る。ファトルエルやエンペルファータでの騒動、そしてエンペルファータまでの旅を通して培った関係は、今やリクにとってかけがえのないものとなっていたのだ。
 今ここで彼等と別れても新しい出会いはあるかもしれない。しかし、リクは半ば確信していた。自分が信頼できるのは、命を預けられるのは、この四人しかいない、と。

「だから、ありがとう」

 改めて礼をいうリクに、真っ先に応えたのが、彼の隣に座っていたフィラレスだった。少しリクの袖を引っ張り、自分に注意を向けさせると、首を横に振ってみせる。

「フィリー……」
「礼なんぞ必要無い言うことやな」

 フィラレスの逆隣に座っていたカーエスが訳すと、向かいの座席に座っているジェシカが付け足して言った。

「私達も同じなんです。私も、もっとこの五人で旅していたい」
「俺らは好きで付いて行くんスから、兄さんは気にしなくていいんスよ」

 それぞれ返す言葉と共に投げかけられた四人分の微笑みに、リクも満面の笑顔で応えた。

「そっか」

 言いたいことを言えて、ほっとしたのだろうか照れくさそうな笑顔に安堵の色が混ざったリクに、カーエスが意地の悪い笑みを口元に浮かべる。

「それでも感謝したいって言うなら、感謝されたってもええんやで? こんなしおらしいリクも珍し……」

 言葉が途切れたカーエスの首元には案の定、ジェシカの槍が突き付けられていた。

「貴様もたまには茶化さず済ませられんのか」
「む、無理やな。“どんな時も笑いと共に”がオワナ・サカ人のモットー……」

 カーエスが、無謀にも槍を突き付けられている状況で反論に出ると、ジェシカは突き付けた槍に更に力を込めはじめた。

「ちょ、これシャレになってへんと思うんやけど!?」
「“どんな時も笑いと共に”、だろう? さあ、笑え。遠慮なく。痛快に」
「ここっ、ここ車内っ! 他の人の迷惑っ!」

 今にも喉を貫き通さんとするが如く、力を加えられて行く槍に、カーエスが抵抗を試みるが、「行けぇ、姉ちゃん、やっちまえー」「面白ぇぞー、もっと続けろー」と、他の乗客はジェシカを止めるどころか、面白がって煽りはじめる。

「んな無責任なこと言わんといてー!」


「いい余興だな」
「車内はとかく暇つぶしに事欠きやスからねー」

 いつもは二人の喧嘩を止めるリク達も、今回は高みの見物を決め込み、駅で買ってきた菓子を開きはじめた。
 その騒ぎは、さすがにいたたまれなくなったフィラレスが止めるまで続き、その後は周りの乗客と意気投合した五人は笑い声と共にフォートアリントンに進み続ける。



 リクはふと窓の向こうに見える景色を見遣った。
 この列車は現在北上している最中、よって左側のこの窓は西向きだ。
 窓から見えるのは地平線までずっと広がる草原、そのさらに向こうにはリクの目指す“始まりの聖地”シャン・ヴィトーラがある。まだ誰も見たことも無いその地が自分の視線の先にあるのかと思うと、リクの心が自然と高鳴る。

 そこに待っているのは想像を絶する困難かもしれない。
 もしかしたら存在さえしないのかもしれない。
 それでも、リクはそれらを乗り越えて行けると思った。

 みんなと一緒なら、いつかきっと全ての向こうにある自分の夢に辿り着ける。


          魔法使い達の夢 第二部 〜エンペルファータの魔導研究所〜 完

Copyright 2003 想 詩拓 all rights reserved.